2015年03月09日15:11 來源:滬江日語
《天聲人語》是日本權威報紙《朝日新聞》編輯部集體撰寫的時事類短文,內容涉及日本社會的所有方面。對於日語學習者,閱讀和翻譯它,無疑是了解日本、提高自己日語水平的大好方法。 |
作家水上勉さんが隨筆の中で、料理番組の板前さんに注文をつけている。小芋の皮のむき方が厚すぎると。「これでは芋が泣く。というよりは……冬じゅう芋をあたためて、香りを育てていた土が泣くだろう」
作家水上勉先生在其隨筆中講述道,對料理節目的廚師特別指出說,他的芋頭皮削得太厚,“這麼個削法,芋頭會哭的。而且,一冬天呵護著芋頭,培育它成長為香噴噴之食物的土地就更要哭泣了。”
ゴボウの芳香にしても、皮に近いほど深いという。大地と「交感」してきた証しである。そうした履歴もろとも食すのが、けんちん汁でも筑前煮でも、旬に対する禮儀のように思う
據說,就牛蒡而言,越是接近表皮芳香味就越濃重,這是與大地“交流感應”的明証。無論是做卷纖汁還是筑前燒煮,連同這部分經歷一並食用被認為是出於對菜季的禮儀。
何にせよ、寒さに耐えたものには凜とした強さが宿る。ふきのとうの苦みや、雪割草の若紫が五感に染みるのは、越冬の喜びと響き合うからだろう。酷寒の先の安息を願い、心は凍てつく被災地に飛ぶ。仮の宿でも、鍋いっぱいの根菜が湯気を立てていようか。
不管怎麼說,經歷過寒冷的植物中凝聚著凜凜霸氣的強勁。蜂斗菜(Petasites japonicus)新芽的苦澀以及報春草(Primula modesta)的嫩紫所給予我們五官的感受和越冬后的喜悅形成了一支交響曲。我們期盼著嚴寒過后的安逸,心早已飛到了病天雪地的災區。不知道在那些臨時性住宅裡,是不是都有一鍋鍋熱氣騰騰的根菜燒煮。
寒あれば暖があるように、天地がもたらすのは災いだけではない。一周忌が営まれる頃には、南から柔らかな陽光が戻り、地の恵みを重ね著したタケノコが出る。悲しみにひと區切りはないけれど、手を攜えて前に進みたい。まっさらの春が待つ。
正如同有寒冷就會有溫暖一樣,天地帶給我們的不都是災害。到了籌辦一周年紀念的時候,南方柔媚的陽光又將會來,並且還會生長出沐浴著陽光吸收著大地精華,接受這雙重呵護的竹筍。悲痛中雖然並不存在階段,但是我們卻將攜手前進。新的春天在等待著我們。
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